平成29年11月17日(月) 18時より「新陰流 上泉伊勢守が伝えるもの」と題して宮川勉(上毛新聞元太田支社長)さんを招いて朋友14名が集まり、エテルナ高崎にて行われた。(講演の主な内容は以下の通りで、袋竹刀と剣道の竹刀の実物を持参していただき迫力があった。)

 

上泉伊勢守は1508年生誕 上泉城主の次男として出生した。剣術だけでなく、教養も高く文武両道に秀でた人物として伝えられる。

様々な軍略に長けていて箕輪城落城の際の働きは、「ほまれおおき侍」と甲陽軍鑑称えられただけでなく、多くの戦国大名から、評価されていた。

しかし、戦国の世のため、上州の治めも変わり、その後新天地を求め上洛し、塚原卜伝から「一之太刀」を伝授される。また55歳の時、奈良興福寺で柳生新左エ門と3日わたる歴史的な東西対決(活人剣対殺人刀)を行う。

編み出した、活人剣は敵を動かし応じて剣を振る舞う人を活かす剣と伝えられ、稽古の際に、木刀による寸止めでなく、実際に切る練習のためあたってもケガが少ない袋竹刀を発明し防具なしの実戦に近い練習が可能となった。

その後室町13代将軍足利義輝の前で丸目蔵人と新陰流披露した。功績により四階級特進の、当時の平(織田)信長と同じ武家官位従四位になった。まさに剣聖として地位を確立した。

まさに、フロンティアスピリッツを持った方であった。

その後、新陰流は尾張徳川家の御家流になるなど日本有数の剣術流派に発展していくことになったという。

 

講演後、懇親会うつり懇談、名刺交換会となる。

最年少参加35期生と幅広い年齢層が集まり、少人数の参加であったが、密に交流が行われ有意義であった。

告知の時間が短く、また金曜日ということなど諸事情が集まる人数が少なかったが、今後の課題とし、続けていくことで同窓会発展の礎の一つとし期待しているとの声が多かった。

平成29年11月17日(月) 18時より「新陰流 上泉伊勢守が伝えるもの」と題して宮川勉(上毛新聞元太田支社長)さんを招いて朋友14名が集まり、エテルナ高崎にて行われた。(講演の主な内容は以下の通りで、真剣と袋竹刀と剣道の竹刀を実際に持参していただき迫力あるものであった。)

 

上泉伊勢守は1508年生誕 上泉城主の次男として出生した。剣術だけでなく、教養も高く文武両道に秀でた人物として伝えられる。

様々な軍略に長けていて箕輪城落城の際の働きは、「ほまれおおき侍」と甲陽軍鑑称えられただけでなく、多くの戦国大名から、評価されていた。

しかし、戦国の世のため、上州の治めも変わり、その後新天地を求め上洛し、塚原卜伝から「一之太刀」を伝授される。また55歳の時、奈良興福寺で柳生新左エ門と3日わたる歴史的な東西対決(活人剣対殺人刀)を行う。

編み出した、活人剣は敵を動かし応じて剣を振る舞う人を活かす剣と伝えられ、稽古の際に、木刀による寸止めでなく、実際に切る練習のためあたってもケガが少ない袋竹刀を発明し防具なしの実戦に近い練習が可能となった。

その後室町13代将軍足利義輝の前で丸目蔵人と新陰流披露した。功績により四階級特進の、当時の平(織田)信長と同じ武家官位従四位になった。まさに剣聖として地位を確立した。

その後、新陰流は尾張徳川家の御家流になるなど日本有数の剣術流派に発展していくことになる。

 

講演後、懇親会うつり懇談、名刺交換会となる。

最年少参加35期生と幅広い年齢層が集まり、少人数の参加であったが、密に交流が行われ有意義であった。

告知の時間が短く、また金曜日ということなど諸事情が集まる人数が少なかったが、今後の課題とし、続けていくことで同窓会発展の礎の一つとし期待しているとの声が多かった。

講演後、懇親会うつり懇談、名刺交換会となる。

最年少参加35期生と幅広い年齢層が集まり行われ有意義であった。

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